重要文化財
歌仙像
鎌倉
3幅
紙本淡彩
縦:14.5cm、横:20.0cm
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和歌と筆致が紡ぐ、
鎌倉の雅
本図は、鎌倉時代前期に制作された三十六歌仙絵の一部です。
専修寺には、いずれも女性歌人の「伊勢」「小大君」「中務」の3幅が伝わっています。

色紙形の小画面に淡彩で優美に描かれ、右側に和歌一首が添えられています。
繊細で洒脱な筆致が特徴です。




本図は「後鳥羽院本」と呼ばれ、後鳥羽天皇の宸筆と伝えられたことに由来しますが、現在では確証はないとされています。




三十六歌仙のうち十五歌仙が現存しており、専修寺所蔵の歌仙像はそのうちの3点ですが、3幅とも女性像であることから、とくに広く親しまれる名品であり、中世の和歌文化を伝える優れた作品です。

宸筆
天皇や上皇、法皇が自ら筆をとって書いた書跡を指す尊称。
後鳥羽天皇
治承4年(1180)に生まれる。鎌倉前期の天皇。高倉天皇の第4皇子。建久9年(1198)譲位して院政を施く。歌道に秀で、新古今和歌集を勅撰する。承久3年(1221)、北条義時追討の院宣を下したが失敗して隠岐に配流される(承久の乱)。延応元年(1239)に同地で崩御する。
中務
平安時代中期の女流歌人。三十六歌仙に列される。父は宇多天皇皇子敦慶親王、母は伊勢。

小大君
平安時代中期の女流歌人。三十六歌仙および女房三十六歌仙の一人に数えられる。『後拾遺和歌集』では巻頭歌人として特に名高い。

伊勢
平安時代後期の女流歌人。三十六歌仙の一人に数えられる。古典和歌を代表する女性歌人の中で特に高く評価されている。

三十六歌仙
平安中期の公家・藤原公任が選んだとされる、和歌の名手36人の総称。
鎌倉時代
源頼朝が鎌倉に幕府を開いてから、元弘3年(1333)北条高時の滅亡に至るまで約150年間の称。
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